東大が「デザイン」の名を冠する理由
2027年9月、東京大学は1958年の薬学部設置以来、約70年ぶりとなる新しい学部相当の組織「UTokyo College of Design(カレッジ・オブ・デザイン)」を開設します。これは単なる一学部の新設に留まらず、明治以来の日本の高等教育が堅持してきた「文系・理系」という分断を根本から打ち破り、21世紀の地球規模課題に立ち向かうための「知の再編」を象徴する出来事です。
1. 既存の枠組みを超えた新教育課程
1-1. デザインとは「解決策の設計」である
本学部で教えられる「デザイン」とは、グラフィックやプロダクトといった意匠の領域に限定されません。気候変動、経済格差、パンデミック、AIの倫理といった、従来の単一学問(ディシプリン)では解決不可能な「厄介な問題(Wicked Problems)」に対し、既存の知を統合し、具体的な社会システムや解決策を「設計(デザイン)」することを指します。
1-2. 学部・修士一貫の「5年制プログラム」
最大の特徴は、学士課程(4年)と修士課程(2年)を融合させた「一貫教育」である点です。成績優秀者は最短5年で修士号を取得でき、高度な専門性と実践力をシームレスに養います。最初の2年間はリベラルアーツを徹底的に学び、後半の3年間で個別の専門領域を深めつつ、プロジェクトベースの学習(PBL)に没頭する構造となります。
1-3. 英語による秋入学と多様な学生構成
定員は1学年100名程度を想定。そのうち半数を海外からの留学生、残りの半数を国内生とする、極めて多様性の高い環境です。授業はすべて英語で行われ、入学時期は世界のスタンダードである9月です。これにより、本郷や駒場のキャンパスは、まさに「地球規模の縮図」となります。
2. 進学希望者が身に付けるべき「5つのコア・スキル」
この新学部が求めるのは、偏差値による「正解を出す力」ではありません。以下の5つのスキルが、選考および入学後の学びの核となります。
2-1. 言語OSとしての「超・英語力」
「英語を学ぶ」段階は高校卒業までに終えていなければなりません。カレッジ・オブ・デザインでは、英語は「知識を吸収し、異文化の背景を持つ他者と議論し、合意形成を行うためのOS」です。抽象的な概念を英語で定義し、論理的な矛盾を突く、あるいは共感を呼ぶプレゼンテーションを行う力が不可欠です。
2-2. システム・シンキング(体系的思考力)
目の前の事象を単発の現象として捉えるのではなく、要素間の相互作用(フィードバック・ループ)として捉える力です。例えば「プラスチックゴミ問題」を、化学的な素材の問題としてだけでなく、経済システム、消費者の行動心理、国際法、代替技術の倫理といった多層的なシステムとして理解し、どこに介入すれば全体が変わるかを見極める知性です。
2-3. 数理的素養とデータ・リテラシー
文理融合を掲げる以上、文系志望者であっても高度な数理的感覚が求められます。統計学を用いて社会の歪みを可視化し、AIやアルゴリズムの仕組みを理解した上で、それらを「道具」として使いこなす能力です。プログラミングは必須スキルの一つとなるでしょう。
2-4. 共感力と人間中心の観察眼
デザインの本質は「誰かの痛みや困りごと」に寄り添うことです。高度なテクノロジーを駆使しても、それが人間の幸福(ウェルビーイング)に寄与しなければ意味がありません。文化人類学的な観察手法(エスノグラフィー)を用い、人々の潜在的なニーズを掘り起こす「優しい知性」が必要です。
2-5. レジリエンスとプロトタイピング精神
「一発で正解を出す」ことを良しとする従来の学習観を捨て、失敗を前提に試作(プロトタイプ)を作り、検証し、改善を繰り返すマインドセットです。不確実な状況下でも手を動かし続け、状況に適応していく粘り強さが求められます。
3. 学校に求められる指導の変革:従来の進路指導との決別
カレッジ・オブ・デザインの登場は、高校側の指導体制にもドラスティックな変化を要求します。
3-1. 「偏差値・科目選択」からの脱却
これまでの進路指導は「文系なら日本史・世界史、理系なら物理・化学」といった科目選択に縛られてきました。しかし、本学部を目指す生徒には「文理両方の基礎」を網羅させるとともに、それらを横断するプロジェクトを推奨する必要があります。教員は「どの大学に行けるか」ではなく「その生徒が何を解決したいのか(Purpose)」を軸に面談を行うべきです。
3-2. ポートフォリオ型評価への移行
入試では従来のペーパーテストだけでなく、高校時代の活動実績や制作物、探究のプロセスをまとめた「ポートフォリオ」が重視されます。学校は、生徒が3年間を通じてどのような問いを立て、いかなる行動を起こしたのかを記録し、言語化する支援を組織的に行う必要があります。
3-3. 教員の役割は「ティーチャー」から「メンター」へ
情報の伝達(講義)はデジタル教材に任せ、教員は生徒の好奇心を刺激し、外部の専門家や地域社会と繋げる「ハブ」や、問いを深める「メンター」としての役割を担うべきです。生徒が「東大が求めるデザインとは何か」を自ら探究できるよう、対話型の授業を増やすことが求められます。
4. 「総合的な探究の時間」における具体的な指導指針
カレッジ・オブ・デザインに入学するためのポイントはこの「探究の時間」の中にこそ隠されています。単なる調べ学習で終わらせないための、4つのステップです。
ステップ1:問いの質を高める「リサーチ・クエスチョン」の設定
「地球温暖化について調べる」といった広すぎる問いではなく、「我が校の購買部でプラスチック容器を全廃するには、どのようなインセンティブ設計が必要か」といった、具体的かつ多角的なアプローチが可能な問い(問いの解像度を高めること)を立てさせます。
ステップ2:フィールドワークと「当事者性」の獲得
ネット上の情報を整理するだけでは、デザインの種は見つかりません。実際に現場へ行き、困っている人にインタビューし、その場所の空気を吸うこと。自らが課題の渦中に飛び込み、「自分事」として解決を熱望するプロセスを指導します。
ステップ3:越境するコラボレーション
一人で完結する探究ではなく、異なる得意分野を持つ仲間、他校の生徒、大学生、企業、NPOなどと協力する場を作ります。対立を乗り越え、多様な視点を取り入れてアイディアをブラッシュアップする経験こそが、新学部が最も高く評価する「資質」となります。
ステップ4:アウトプットの多様化とリフレクション
論文を書くだけが探究ではありません。アプリのモックアップ作成、新しい校則の試行、地域通貨の設計、アート作品による問題提起など、多様なアウトプットを推奨します。そして、最も重要なのは「なぜその結果になったのか」「自分はどう変わったのか」という深いリフレクション(内省)を言語化させることです。
5. 理科学習
カレッジ・オブ・デザインにおいて理科は、単なる知識の蓄積ではなく「デザインの可能性と限界を知るための学問」となります。
高校での物理や生物、化学の学習において、それらがどのように社会課題と直結しているかを意識させることが重要です。例えば、熱力学の法則を学ぶ際に、それが都市のエネルギー効率や気候変動にどう関わっているのか。生物の多様性を学ぶ際に、それが循環型経済(サーキュラーエコノミー)のモデルにどう応用できるのか(バイオミミクリーなど)。理科の授業の中に、常に「社会への実装」という視点を持たせることが、新学部の求める知性への近道です。
6. 人文学・社会科学
文系科目においても、単なる暗記から「価値の体系」を学ぶ学習への転換が必要です。
歴史、倫理、政治・経済といった科目は、新しいデザインが社会に受け入れられるための「文脈」を理解するためのツールです。例えば、AIによる自動運転を社会に導入する際、直面するのは技術的な問題よりも「誰が責任を負うか」という倫理・法的な問題、あるいは「移動の自由」という哲学的な問題です。人文学的素養こそが、技術を暴走させず、人間にとって意味のあるものにするための「羅針盤」であることを強調すべきです。
7. 英語
前述の通り、英語力は必須ですが、その質が問われます。
日本の英語教育にありがちな「正確な翻訳」を目標とするのではなく、「不完全な英語であっても、相手の心を動かし、プロジェクトを前に進める」ためのコミュニケーション力を重視してください。
具体的には、以下のような活動を学校生活に取り入れることが有効です。
●英語でのディベート・ディスカッション: 社会課題(例:遺伝子組み換え食品の是非、ベーシックインカムの導入など)について、英語で意見を戦わせる。
●CLIL(内容言語統合型学習)の導入: 数学や歴史の一部を英語で学ぶ機会を設け、英語「で」考える回路を形成する。
●海外の高校生との共同プロジェクト: オンラインツールを活用し、国境を越えて共通の課題(SDGsなど)に取り組む。
8. 最後に
東京大学カレッジ・オブ・デザインが求めているのは、既存の「正解」を疑い、自ら問いを立て、多様な人々と手を取り合って、より良い未来を「形にする」人間です。
これは、生徒たちにとって非常に過酷な要求かもしれません。しかし同時に、自らの学びが社会の変革に直結していることを実感できる、最高にエキサイティングな挑戦でもあります。
学校現場に求められるのは、彼らの「尖った好奇心」を潰すことなく、むしろそれを加速させるための自由で安全な遊び場(SandBox)を提供することです。偏差値という物差しを一度脇に置き、生徒一人ひとりが持つ「世界をこう変えたい」という熱量に寄り添うこと。それこそが、東京大学の新学部に、そしてこれからの未来に必要とされる人材を育てる唯一の道なのです。
※本記事は、2026年2月時点の公開情報および教育動向に基づき構成されたものです。具体的な入試要項については、必ず東京大学公式の最新情報を参照してください。


